【インタビュー】鞆の浦で活躍する家庭医・平岩千尋さん

インタビュー

”医療って完璧じゃないし、不確実だと思った。本人や家族が幸せな時間は、どうしたら提供できるのか” という課題感から、現在、病院の中から外へとどんどんと活動の幅を広げている家庭医専門医の平岩千尋(ひらいわ・ちひろ)さん。

鞆の浦にある藤井病院で医師として働く傍ら、地域住民や学校などあらゆるステークホルダーと協力しながら、人々の健康と豊かさに向き合っています。

今回は、平岩さんの過去の歩みや地域医療に対する熱い想いから「地域とともに歩む」ヒントを探ります。

■ 平岩千尋(ひらいわ・ちひろ)さん  
広島県福山市出身。家庭医療専門医・指導医、認定内科医、日本医師会認定産業医。岡山大学医学部卒業後、福山市民病院で初期研修修了。広島県福山市鞆町にある藤井病院にて外来診療、入院診療、在宅診療に従事する傍ら、任意団体「鞆のくらしの診療所」を立ち上げ、地域の学校である鞆の浦学園の子どもたちとともに地域診断に取り組む。

難病の母を救いたい

ーー 平岩さんが医師を目指したきっかけを教えて下さい。

「難病の母を救いたい」と思ったのがきっかけです。

母は、私が小学校4年生の時に「HTLV1関連脊髄症」という希少疾患の診断を受けました。進行性の神経難病で治療法はなく、入退院を繰り返しました。

発症から数年後、母は杖をついて歩くことさえ難しくなり、車椅子の生活となりました。足に燃えるような痛みが生じるようで、時折、母はつらいと涙を流すこともありました。普段は明るい母。この時は、本当にしんどかったのだと思います。

高校生になり、私は「母の病気を治したい!」と考えるようになりました。

医学部のオープンキャンパスに行き、先生や先輩方にお話を伺いました。学問として面白そうだと興味を持ち、医学の道に進むことを決意しました。

ーー 学生時代は、どのように過ごされましたか?

大学は、岡山大学医学部に進学しました。私は、母の病気を治したいという一心で、母の病気の原因となったHTLV-1に関する疾患の研究に取り組みました。そこではじめて、希少疾患や難病の治療法が確立するまでは、本当に長い年月がかかるということを目の当たりにします。

万が一、母の治療法を見つけてあげられたとしても、母に還元できる日はこないのではないかと、学生ながらに悶々としたのを覚えています。

学生時代、学会会場にて


家庭医との出会い

ーー家庭医に興味を持つようになったのはいつ頃だったのでしょうか。きっかけとなったエピソードもあれば、教えてください。

福山市民病院で初期研修をしているときに、ウィメンズヘルスに関するワークショップで初めて家庭医の先生と出会いました。ウィメンズヘルスでは、女性の健康を時間軸や家族などの環境因子を包括的に考えます。

臓器別に診る医療とは違い、家庭医療の考え方は面白いなと感じました。それから、家庭医について学びを深めるべく、亀田ファミリークリニック館山、奈義ファミリークリニックなど、家庭医の先生がおられ、研修も行っている施設に見学に行かせてもらいました。

初期研修終了後は、総合診療医や家庭医を育成する後期研修プログラムを専攻しました。そして、2019年に家庭医療専門医を取得しました。

初期研修医時代の平岩さん(左から2番目)

飛び出せ!鞆のまち

ーー 晴れて家庭医になられた平岩先生ですが、現在、病院から飛び出して地域で活動するに至った背景にはどんなことがあったのでしょうか。病院で働きながら、「地域に飛び出そう!」と思われたキッカケを教えてください。

鞆の浦にある藤井病院で患者さんと関わるなかで、自分自身が地域のことを全く分かっていないことに気が付きました。鞆の文化や地名、商店や町の有名人の名前など、患者さんが口にするワードがことごとく理解できなかったのです。

家庭医として患者さんに接するうえで、共通言語がないことはとてもマイナスでした。医師と患者の関係性は、お互いに理解ができてはじめて成り立つものです。患者さんとの距離を縮めるため、まずは地域のことを知り、同じ土俵に立つことが大事だと考えました。

どうやって地域に入りこもうかと悩んでいたときに出会ったのが、鞆の浦にある介護施設・さくらホームで働く作業療法士の羽田知世さんでした。羽田さんは鞆で生まれ、現在も鞆の町で働いています。

羽田さんとともに「鞆のくらしの診療所」という任意団体を立ち上げ、地域を知ることを目的とした活動を始めました。2020年のことでした。

鞆の浦・さくらホームの羽田知世さん


コンテクストの理解と患者中心の医療の実践

ーー実際に活動をはじめて、ご自身のなかで変化したことなどあれば教えてください。

地域の歴史を紐ときながら、実際に町歩きをしていると、次第に地域住民の生活が見えてくるようになりました。患者さんが話す散歩ルートなども分かるようになり、診察中もその人の暮らしにそった会話ができるようになりました。

家庭医療の世界では、患者さんの持つ背景のことをコンテクストと呼び、患者さんと共通の理解基盤を作ってより良い方向へ進んでいくための技術を「患者中心の医療の方法」と表現します。それが実践できている感覚がありました。

背景を理解して話ができるようになると、純粋に嬉しいですし、快感に近いものを感じました。

地域診断を通して

ーー 共通言語を持てるようになった平岩先生ですが、実際には、どのように医療に繋げていかれたのでしょうか?

会話のなかから「地域診断」を進めていきました。

地域診断とは、公衆衛生を担う専門家が、地区活動を通して地域課題を明らかにし、 地区活動を通して個人のケアに留まらず、集団あるいは地域を対象にケアを行い、地域課題を軽減・解消していく一連のプロセスのことです。

例えば、歴史や会話のなかから、鞆ではお酒をかなり飲む機会が多いことが分かりました。鞆では、年に7回お祭りが開催されます。お祭りまでの決め事は、そのほとんどが飲みの場で決められていきます。

お酒の場で仲間同士の絆を確かめあい、繋がりを強化していくのです。そのような歴史・文化背景から、やはり肝臓が悪くなる人は比較的多くいることが見えてきました。

このように、患者さんの暮らす町を知ることで、視野が広がり、アプローチ方法の選択肢を増やすことができました。


ーー 昨年は、鞆の浦学園の子どもたちと一緒に「地域診断」を行うプロジェクトを動かされていましたね。その件について、詳しく教えていただいても良いですか?

もともと学校医として、地域の学校である鞆の浦学園を定期的に訪ねていました。当時の校長先生が新しいことも積極的に取り入れる、非常に前向きな先生でした。「この先生とだったらできるかもしれない」と思い、子どもたちを巻き込んで地域診断の授業を行いたいと提案したのでした。

プロジェクトが動き出したのが、2021年の夏。そこから、あらゆる機関や人と連携をはなりながら、プロジェクトを進めていきました。

そして、2022年11月ついに、子どもたちとともに「地域診断ワークショップ」が実現したのです。


ーー 実際にやってみて、子どもたちの反応はどうでしたか?

ワークショップ終了後、実際に子どもたちがインタビューをしたおじいちゃんおばあちゃんのために、「鞆の浦体操」というオリジナルの体操をつくってくれました。

課題から立案したアクションプランを、実際に行動にうつしてくれたのがとても嬉しかったです。

今回は身近な高齢者から健康について考えていきましたが、これを機に、子どもたちが少しでも身体に興味を持ち、自分で自分の身体を守れるようになってほしいです。

地域と学校とも良い関係性を築けることができ良かったです。


今後の挑戦

ーー 最後に、平岩先生が今後、挑戦したいことなどがあれば教えてください。

医学を目指したきっかけである家族だけでなく、目の前の方々、地域の方々が生きやすく、幸せを感じられるようになればいいなという想いが根底にあります。現在挑戦中の地域診断を含めた様々なことも、それに通ずればよいと思ってチャレンジしています。

今年度は、子どもたちとの地域診断ワークショップも包含した、「鞆の浦・地域医療プログラム」というものを7月から開始します。

このプログラムは、病院や学校だけでは得られない地域医療におけるアプローチ方法の選択肢を広げることを目的とした、医療介護福祉従事者・医療学生向けの6ヶ月間のプログラムです。

豪華な講師陣を迎え、現地・オンライン・ハイブリッドを組み合わせながら月1回の講義や交流を通して学びを深めていきます。

5月末まで募集しています。ぜひ興味のある方は、お問い合わせ下さい。

プログラムの申込みフォームはこちら


鞆の浦で学んだリソースを使って、みなさんが大切にする地域がより良くなることを願っています。ぜひ一緒に学びましょう!



ーー平岩先生、素敵なメッセージをありがとうございました。今回は、鞆の浦で活躍する家庭医・平岩千尋さんにお話を伺いました。鞆の浦の地域医療が、今、アツい!というのがとてもよく伝わりました。平岩先生のこれからのご活躍も、心から応援しております。


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